Linolino

COLUMN

生きる、ということ

子供の頃、自分ではじめて服を選んだとき 「なんて品のない変なスカート」 と母親にダメ出しされた。 自分の思う「カワイイ」を身につけることが 酷く恥ずかしいことなんだと商店街の片隅で感じた。 父親は歌が大好きで、酒を呑むと歌いたくなる人だった。 という訳でいわゆる二次会でよく家族でカラオケに行っていた。 そこで9割は父が歌うのだが、たまにターンが回ってくる事がある。 ドキドキしながら好きなアニメのオープニング曲を歌った。 「下手くそだなー、お前は下手だなー」 当時絶対王政の父親に対して怒る事なんて勿論出来ず しかし、泣いても怒られそうなので 鼻の奥のツンとした痛みを麻痺させるかのように 苦笑いするしかなかった。 そんな家族の話はまた今度するとして。 幼少期に私の大好きなキラキラは全否定されて生きてきたが 今私はそれを仕事にしている。 今でもたまにその光景は夢に出てくるし、 なにかをする度に周りからそう思われているんじゃないかと 思ってしまう心の底の塊は未だに私に 「それでいいの?」とつついてくる。 それでも、何故やめられないのか。 そんな事を言われ続けても好きがとまらなかったから。 ただ、それだけなんだと思う。 自暴自棄になった時、色んなことをもうどうでもいい。 と思うようにしてしまう癖がある。 そう思えば心はただの鼓動を鳴らすだけの身体の一部で 私を傷つけることも愛することもしないから。 しかし、そうすると世界はみるみるモノクロになってしまう。 結局、3日も経てばそれに飽きてしまうのだが、 そんな時にやっぱり音楽だったり歌だったり歌詞だったり。 髪色、髪型、メイク、ネイル、お洋服、 大好きなキラキラを総てで表現したくなる。 そんな事を繰り返しながら少しずつ私は私と世界を好きに、 そして大事にできていってる気がする。 自分の大事なものくらい自分で守らなきゃ。 私は自分を貫くことで生きている証明をしたい。 2022/11/7 Linolino